Story

  • 鳳条 庵
    ( ——— 嗚呼 しくじった 。 木に打ち付けられ鈍い痛みを主張する身体と 、まとわりつく瘴気の嫌悪感に苛まれながら 、そんな他人事にも思えるような後悔の念を 、庵は抱いた 。 決して油断していた訳では無い 。 むしろ 、今まで以上に入念な前準備と調査を経て挑んだ大仕事だと胸を張って言えるだろう 。 しかし 、雇い主である村長から直々に下った『 鬼退治 』の命をつつがなく実行する為に積み重ねてきた準備の数々も 、予想外の乱入でそれらが全てから回ってしまっては元も子もあるまい 。 鬼の根城に向かっている途中 、運悪く遭遇したのは 、一切情報に載っていなかった人狼のモノノ怪だった 。 力強く一撃必殺を重視すると噂の鬼に備えて揃えた備品では 、いくら庵が才能ある陰陽師とは言えども 、素早さを武器とする人狼に対しては殆ど無力に近い 。 大した抵抗を取ることも出来ないまま翻弄され 、開幕のように情けなくも地面にひれ伏すことになってしまったのだが 、件の人狼はほとほと性悪らしく 、痛みに荒い息を零す庵を楽しそうに眺めるのみで一向にとどめを刺そうとしない 。 ならば自死でも選ぼうかと 、武士さながらの潔さで舌を噛み切るか霊力の暴発を狙っていた 、その時である 。 かろん 、かろんと 、軽やかな下駄の音が辺りに響いた 。 そうそれは 、当初の討伐目標である鬼の目撃情報に載っていた 、少し楽しげな …… ——— 。 )
  • 神楽
    ( ——— なんてことない 、自然に根付いた弱肉強食の光景だ 。 強いものが弱いものを淘汰し 、喰らい 、後世に残る種を残していく 。 遥か高くにある巨岩の上から 、野蛮な狼に今にも喰われ命の灯火を吹き消されようとしている人間を 、そんなことを思いながら他愛もなさげに 、神楽は見つめていた 。 月明かりに照らされて尚輝く人間の白髪は 、全くもって馴染みはないが 、山でも噂の耐えない人里の『 てんがらこ 』のもの 。 人が人を飼い 、蝶のように愛でていると 、矮小が話していたのを小耳に挟んでいる 。 目下で繰り広げられているのは 、自然淘汰の一環 。 神楽とてそう思っていただろう 。 その場所が 、自らの根城としている山腹部でなければ 、そのまま見殺しにしていたに違いない 。 しかしながら 、家で血みどろの殺戮が起きて尚のうのうと眠れるような 、図太い精神の持ち主では生憎ない 。 だから 、座を据えていた大岩から飛び降り 、カランッと軽い音を立てて彼らと同じ土台に立った 。 人間の方は此方に気付いているようだが 、獣の方は一切気にもとめないと言わんばかりに涎を垂らし 、久方ぶりの生肉をどう甚振って喰らおうか吟味しているように伺える 。 さて 、どうしたものか 。 人間の警戒心が此方にまで伸びたのを確認し 、なかなかやる様だと賞賛を抱きつつ 、神楽は緩やかに口を開いた 。 )「 俺の縄張りで横暴行為なんざ 、随分と腹が据わっている獣とみえる 。 」( にこやかで歯に衣着せぬ物言い乍ら 、確実に圧を掛ける声色 。 怯んだように後ずさる獣を冷めた瞳で眺めながら 、“ また面倒な事に頭を突っ込んでしまった ” と 、心の内で人知れずため息をついた 。 )
  • 鳳条 庵
    ( ビリビリと 、空気が震えて一瞬のうちに重苦しい瘴気に包まれたのを 、庵はその身で感じていた 。 鬼が口を開き音を紡ぐたび 、冷や汗の伝う重圧に押し潰されそうになる 。 言葉は酷く軽薄な様 。 だけれど隠す様子のない怒気が言葉の節々に滲んでいて 。 喉が締まり息苦しくも錯覚するその瘴気は 、しかしながら害するでもなく 、人狼から守るかのように庵を包み 、唯 漠然と “ 嗚呼 、モノノ怪に助けられたのだ ” と己の無力さを突き付けられている気分 。 祓う立場の人間が 、宿敵であるモノノ怪に命を救われる 。 これ以上に屈辱的なことなどないだろう 。 人が人なら怒り狂いそうなこの状況だが 、生憎とモノノ怪に矜恃も憎悪も抱いていない庵は 、尚も冷静に目の前で繰り広げられつつあるモノノ怪とモノノ怪の『 縄張り争い 』に視線を奪われた 。 否 正しく言えば 、今さっき降り立った鬼の姿に 、どうしようもなく目が惹かれたといった方が正しい 。 同じモノノ怪なのに 、その鬼は 、人狼と比べ酷く気高く 、高貴で 、——— とても 、美しい 。 暗闇に映える赤角を有する鬼は 、此方に一瞥もくれることなく人狼を眺めているようで 、横顔で伺える赤い瞳に覚えてはならない感情が芽生えていくのを 、庵はどこか他人事のように感じていた 。 呼吸を忘れるほどモノノ怪に見蕩れるなど 、てんがらこの風上にも置けやしない 。 )
  • 神楽
    ( 存外 、勇敢な獣ではなかったらしい 。 数秒程度の睨み合いの末 、尻尾を巻いて茂みの奥へと逃げ帰る件の獣を呆れた眼差しで眺めながら 、神楽は「 もう来んじゃねぇぞ ー 」と 、あの臆病な獣には届くかも分からない一言を零した 。 ガサガサと遠ざかっていく茂みの音を聞く限り 、暫くはゆめゆめ現れることはないだろうと予想できる 。 とんだお騒がせ野郎だ 、と髪をかきあげ 、先程からふと感じていた下からの熱い視線の方向へと目をやった 。 )「 で ? 手前はなんでどうしてこんな所でねっ転んでやがんだ 。 若いのに徘徊か ? 」( 己が助けた 、白い人間 。 人間の傍にしゃがみこみ汗と土に塗れた髪をたくしあげれば 、月色に隠されていたそのかんばせの概要が大方伺えてきた 。 ——— 老人のような白い髪に 、忌み嫌われる赤い瞳 。 乱雑に縫い合わされた唇を認めた神楽は 、人間も同族にひどい仕打ちをしたもんだなと眉をひそめた 。 窺い知ることの出来ないもう片方の瞳も 、人間に潰されでもしたのだろうかと 、不要な憶測を立ててしまう 。 )「 手前さん 、普通の人間じゃねぇな 。 妙な霊気を纏ってやがる 。 」( “ … そうか 。 手前が今代のてんがらこか 。 ” そう続く言の葉は 、この人間にはどう聞こえるだろうか 。 何も言わない 、否 、言えないのかもしれないその人間の頭に徐ろに腕を伸ばし 、その銀糸を撫で付けた 。 )
  • 鳳条 庵
    ( 彼の鬼に見惚れてどれ程の時間が経っていたのか 。 数分の出来事だったかもしれないし 、もしくは数秒にも満たないかもしれないそれは 、庵にとってはまるで数時間をそこで過ごしたような感覚を抱く時間 。 黒髪に 、燃える血のような赤い瞳 。 顔に残る傷は過去の勲章だろうか 、痛々しくその肌に痕を残していた 。 その姿 、形 、全て書面上のみで頭に入っていたものが視界を通じてダイレクトに脳に届けられ 、その鮮やかさにくらりと揺れる 。 ガサガサと音を立てて去っていく人狼の足音と 、庵に向けられたであろう問いの数々にはっと意識を戻されることとなった 。 )「 っ …… 。 」( 声に応えようとして 、ふと気付く 。 己の口が縫いつけられ 、音の紡ぎを生涯知らないことを 。 これではこの鬼の問いに答えることが出来ない 、否 そもそも便宜上は敵対していると言っても過言ではない関係上 、律儀に答えるのは陰陽師として怪しいものがあるのだが …… 後々の人の目を考えられるほどにはまだ酔いが抜けていなかった 。 どうしたものか 、どう返せば正解なのか 。 そう行動に迷っていた時 。  ——— ふわりと 、今まで感じたことの無い暖かさを頭に感じた 。 以降 、わしゃわしゃと乱雑さを増していく手のひらに瞳をきつく閉じながら 、得も言えない喜びが伝播する胸の暖かみを不思議に思う 。 …… 先程 、人狼から逃げ続け挙句の果てに怪我を負ったからだろうか 。 温もりを許容しているうちに徐々に瞼が重く 、開いているのも困難な程になってきた 。 なんだか 、感じる温もりの範囲が多くなった気もするが …… 。 ——— そして 、暗転 。 )
  • 神楽
    ( 眼下の人間は 、外見通り年端も行かぬ未熟な子供なのだと 、予想が当たって少々喜ばしい 。 ボロボロになっても正気を失わないその気丈さが関心を招きついつい頭を撫でてしまったが 、往復が重なるにつれて少しずつ下がっていく瞼と心地よさそうに緩められる表情は 、見ていてとても気分が良かった 。 久方ぶりに人間と争いなしの交流に臨んだが 、なかなか悪いものではないようだ 。 眠気に抗うことができず倒れ込んでくる痩せぎすな身体を受け止め 、ただこれ以上の理由なく安眠できるようにと 、髪を梳き続けた 。 )「 …… そうだ 、此奴にしよう 。 モノノ怪に呪いを吐かない 、根性がある 、そして何より良い霊力に満ちている 。 」( そう言って思い立ったように立ち上がった神楽は 、人間の軽い身体を持ち上げて腕に抱き込んだ 。 突然動いたにも関わらずぐっすりと眠ったままの人間の顔はあどけなく 、本来なら戦いを嫌う側の人種なのだろうなと勘づいた 。 しかし 、これから神楽が望もうとしている彼への願いは 、そんなこと気にもとめない位残酷なもので 。 )「 手前に 、俺を殺させることにする 。 」( 誰に聞かせるでもなく 、腕の中の人間にも届いていないであろう 、寂しい独り言 。 普段なら滅多にしない独り言も 、これからの愉快な生活を思えば不思議と悪くないような気にもなった 。 まずは 、この人間の傷を癒してやろう 。 叩きつけられた打撲跡を消して 、口を縫い付ける糸を抜いて 。 そうしたらこの人間が持つ霊力の正しい使い方を仕込んでやって 。 大人になって全てが成熟したその頃に 、——— 鬼の首を取る大義を授けよう 。 )

    ・━━━ end ━━━・